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里山の神事に「大祓い」がある。 光明を求めるわれわれは、神の威徳によって諸々の「まがごと」を一掃し解脱しようとする。 宮司はその身を洗い清め「禊(みそぎ)」を行う。 部落毎に氏神(うじがみ)が祀(まつ)られ、更に小さな祠(ほこら)が散在し、高い山は”霊山”と呼ぶ。
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T 日本精神の源流 | ||||
1 | 古神道の勃興とその根強さ | |||
歴史の枢軸を貫く「神道」 | ||||
日本の歴史を通観(つうかん)しておりますと,ちょうど分家・・姻戚(いんせき)・縁者、それからそれへと大きく拡がっている旧家の中でも、厳乎(げんこ)としてその根幹(こんかん)をなして続いている宗家の血統があるように、儒教、仏教、キリスト教などいろいろな文化の交渉や融合、発達がありますが、この中に遠く神代(かみよ)の昔から連綿として、我が国の歴史の枢軸(すうじく)をなして発展してきているのは、実に神道であります。 おおよそ世界はいずこの民族も太古は同様の心理を多分にもっていたものですが、日本民族もやはり、当時の原始的な人間として恐畏(きょうい)に堪(た)えなかった火や水や日や月や星や雷や風や山などの自然現象を崇拝し畏怖しておりました。そればかりではありません。 蛇や狼や猿の類(たぐい)にいたるまで、何かしら気味の悪い、機嫌をそこねるとどんな祟(たた)りをするかも知れないものはみな一種の神として祭っていたものでありました。 例えば、平安末期にできた『今昔物語』に、美作(みまさか)や飛騨などの地方民が猿神(さるがみ)をあがめて、毎年、生贄(いけにえ)を供(そな)えていることが出ています。 また、『陸奥(むつ)風土記(ふどき)』に、継体(けいたい)天皇の御代(みよ)、行方郡(なめかたぐん)に荒れ地を開墾すると蛇(夜刀神:やとのかみ)がたくさんおって、害をして困るので、杭(くい)を立てて人と夜刀神の地とを分けることに定め、これだけの地は神にさしあげ、永久にお祭りもするから、今後、祟らぬようにしてもらいたいと祈ったことが書いてあります。 さらに、『日本書紀』を見ますと、欽明天皇紀(きんめいこうき)に、有名な膳臣巴提便(かしばでのおみはてび)が百済に使いして、虎に愛児を奪われました時、仇討(あだう)ちに出かけて「汝威神(いましかしこきかみ)」と虎に呼びかけています。同紀にはまた、山中で血まみれになって闘っている狼に「汝(いまし)是れ貴(とおと)き神にしてあらきわぞをこのむ云々(うんぬん)」といっているくだりがあります。 こんなことを一々挙げていれば限りがありません。 禽獣(きんじゅう)のような生物ばかりではありません。石や木のような非情の物から、船や剣(つるぎ)のような道具にまで神霊の籠(こ)もっていることを考えました。 そして何よりも不思議であり不安でならなかったのは自分たち人間の存在であり、死であり、死後のことでありました。 しかし、注意しなければならぬことは、日本民族は元来すこぶる光明を欲し自然を楽しみ生命を愛する特性を持っておりまして、死ねば黄泉国(よもつくに)に行くものくらいに考えて、あまり死後のことについて煩悶(はんもん)などしなかったようであります。 人間には肉体に霊魂(れいこん)が宿っていて、肉体が死んでも霊魂は死ぬものではない。やはりそれ相応の生活をしていて、人間界と自由に交通することが出来る。 この霊魂勝れたものほど偉人であって、その人は生きている間も大きな功業(こうぎょう)を立てたり、衆望(しゅうぼう)を集めたり、死ねばますます人間界に神秘な作用を及ぼすものであると信じておったのであります。 この 「生命尊重→偉人崇拝→英霊(えいれい)崇拝→人間感化→世道興隆」があくまでも神道の根本観念であることを忘れてはなりません。 そこで、前述の大自然の信仰に関しても、人間を滅ぼし、世の中を壊してしまうような神力(しんりょく)ではなく、物を成し、人を生み、世を修めてゆくような、『古事記』にいわゆる「是(こ)のただよへる国を修理(つくり)固成(かためな)す」という、創造のはたらきを崇拝しているのであります。 『古事記』の冒頭を精読深思してください。 「天地(あめつちの)の初発(はじめ)の時、高天の原になりませる神の名は・・・」
すなわち、別天神(ことあまつかみ)から始めて、国之常立神(クニノトコダチノカミ)、豊雲野神(トヨクモノカミ)までは絶対者であり、以下の天神にいたってようやく相対的関係を生じ、いざなぎの神、いざなみの神よりして鮮やかに万象の展開をしております。 こういう思想が民族独自のものであるか、または、大陸思想の影響であるかというようなことは論外であります。とにかくこの神話によって、いかに我が民族が創造的精神を確保するものであるか、ということを知れば足りるのであります。 この物を造り、不思議な作用をなす造化(ぞうか)の力を「むすび(産霊:むすび、産巣日:むすび、産日:むすび。 日も霊も「ひ」で、「むす」は化生(けしょう)という意味。産:うむや巣:すをあてたのは面白い)と称するのであります。 そして、ここにさまざまな「たかみむすびの神」と、「かみむすびの神」を信仰いたしました。その最も大宗は「たかみむすびの神」と「かみむすびの神」とありますが、その他に著しい二、三の神々を挙げますと、まず、「たまつめむすびの神(玉留産日神)」があります。 これは肉体に生命霊魂を宿らせる神、すなわちこの身に生命霊魂となって現れた神であります。これを産み育てるのは「いくむすびの神(生産日神)」であり、これを調和満足させるのが「たるむすびの神(足産日神)」であります。 そればかりではありません。国土そのものに「むすび」を認めて崇拝いたしました。『古事記』のこの文章に続く神話によれば、大八島六島(おおやしまむしま)みな、いざなぎの神、いざなみの神より生まれ出たのであります。 ー中略ー 「むすび」を尊ぶ日本民族はこうして必然的に、
そして、同一の祖先より出たと信じる血族団体を氏と称し、これに属する諸部及び奴婢(ぬひ)などを包含(ほうがん)して大きな氏族(うじぞく)を実現してゆきました。 天皇よりはそれらの氏族ごとに姓(かばね)を賜わり、彼らはそれぞれの職を分かって皇朝に奉仕しました。 その氏族の統帥(とうすい)を氏上(うじかみ)といい、多くの子孫、族類から畏敬(いけい)され、神格化されていったのであります。 ここにまた深く留意すべきことがあります。 それは、日本国民の神の観念についてであります。ちょっと考えると諸方の原始民族と変わらず、日本人も生気崇拝、自然崇拝、諸仏崇拝を出ない素朴な多神教のようにとれるのでありますが、実は単に何かしら超人的な威力のある者、不思議な恐ろしいものをすべて神とする観念があります。 さらに、一面、われわれ人間のすぐ上にあるもの、影身(かげみ)に添うものというように親しく考えられ、人物を神格化すると同時に、神を人格化し、神人合一の自由で微妙な心情を持っており、また、氏族と皇室、皇室と造化の神との有機的統一は、キリスト教のような一神教の天主とか世界の主とかいうかけ離れた神の信仰とはまるで違って、天神(あまつかみ)ー 国神(くにつかみ) ー 祖神(みおやかみ)の間に何の矛盾もない。 国家の紀元もべつだん宗教的起源によらず、教権と政権ともいっこうにヨーロッパのような扞挌(かんかく)を生ずるわけがないのであります。実にありがたい不思議な国ではありませんか。 国家という熟語は漢語でありますが、この語はわが日本のためにできているような語であり、キリスト教にいう天国なるものも、前述のような理由から考えて、わが日本にそのまま現れているといっても少しも過言ではありません。 さて、このようにして生じた多くの神々、いわゆる八百万神(やおよろずのかみ)を通常、天神(あまつかみ)と地神(くにつかみ)、あるいは天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)とに分けております。 天神は文字通り天上に居住せられる日本民族の祖先、およびその系統中に包摂せられている神々であります。一方、地神はこの国土に住して、天神に従属しておられる神々であります。 これらの神々をして神たらしめている奇しき霊魂の作用について、すでに造化三神(別天神:ことあまつかみ)の「たかみむすびの神」「かみむすびの神」の表し方によっても明らかなように、「あらみたま」(荒魂)と「にぎみたま」(和魂)とを観じております。 「あらみたま」すなわち荒神は霊魂の活動派生、猛進、奮闘のはたらきであり、「にぎみたま」すなわち和魂はその守靜、調節、平和、交歓のいとなみであります。 両者は相待不二(そうたいふじ)のものとすると同時に、また、自ずから分かち、別々にこれを祭っております。 有名な長門の住吉神は荒魂の方であり、摂津の方は和魂だそうであります。概して荒魂の方が多く祭られていることは当然でありましょう。 どうかすると荒魂を悪神、和魂を善神と考える人もありますが、江戸末期の国学者・鈴木重胤も「書記伝」に明記しているように、それは誤りです。善悪は作用の過不及(かふきゅう)に生ずるものでありますが、しかし、実在が絶えざる生成化育を建て前とする道理上、多くの悪は「過ぐる」に生じます。 病も食い過ぎ、飲み過ぎ、争いも出過ぎから起こりますように、「荒ぶる」ことはともすると「過ぐる」こととなりやすく、そこから悪に傾きやすいということは認めねばなりません。 なお、この荒魂に相応して奇魂(くしみたま)、和魂に相応して幸魂(さきみたま)の信仰もありますが、荒魂、和魂ほど一般的になっていませんし、結局、同じことであります。 |
Link 地域の巨石信仰・遺跡
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